8.22「ワークショップ」
あらすじ
「その狙いは、世界を眼差すことに時間的経験は必要条件でないという当然の定理に再度、各々客層に、それ以上に我らWPPが意識することにある」砂川さん、弾きます。「武蔵大四天王」という括りは取りあえず覚えといてくださいな8話22節。
砂川を読む
Stage
武蔵大 センターホール
武蔵大に限らず、大学ともなれば毎日といっていいのだろう、何かしら講演が開かれてるものだ。
ゴリゴリの学問の研究発表会なこともあれば、どっか別のコンサートホールでもいいじゃんっていう感じの(比較的)楽しそうなイベントの開催場所としても採用されたりする。
今回は、どちらかというと後者と思われる。
【笑星】
「ねえ、会長……今更だけど服装ソレでいいの?」
【鞠】
「はい?」
【笑星】
「だって、今からソレ弾くんだよね……?」
全國最上位層の大学のセンターホールのステージ裏で、ガクガクになってる雑務が私の身体、いや服を指差す。その指も震えているところを見るに、相当緊張しているらしい。何故貴方が。
そして私、たいして不思議な服装してない。
【鞠】
「学生の正装は学生服でしょう。葬式だってコレで通りますよ」
【笑星】
「いやそうなんだけどさ……ちょっとこっそり、ステージ覗いたけど……お客さんの雰囲気、凄かったよ……さっきの特設会場とは大違いだよ……ノーブルだよ……」
【鞠】
「そりゃ、チャラい学祭に惑わされず真面目なワークショップに参加してきた人達ですから、真面目なテンションで来てるでしょう」
【邊見】
「会長先輩……バイオリン、弾けるんですね~。何弾くんですか~?」
【鞠】
「特に決めてません」
【邊見】
「え?」
【笑星】
「……決めてない?」
特に曲指定を受けてないし。自由にやってって云われてるし。
【鞠】
「抑も大袈裟に捉えすぎです。私は全國の考える仕事のお偉いさんが随分集まるワークショップ開催の儀を奏でるだけ。前座でしかない」
【笑星】
「か、会長が前座って……ワークショップの人、どんだけ凄い人なの……? その人も此処、通るよね?」
確か、「光鏡」とか云われる画家がその場で何かパフォーマンスする、とかだった気がする。私の中でのワークショップというのは客側も一緒に何かやるってイメージが強いけど、この厳かな客層と客数を考えてそういう感じじゃないんだろう。
……まあ、私はその辺り、全くといっていいほど関係無いし。私がやるべきは、開会の音を奏でること。始めますよーって合図と共にまずは場を温めましょうよって感じのことを担うに留まる。
ということなので、緊張してないわけがないけど、そんな絶望感溢れるって感じではない。少なくともあのミスコンを見届けるのに比べたらずっとマシな場所と捉えられる。
【大人】
「砂川さん、こっちで合図しますんで、そうしたら入場してください」
【鞠】
「承知しました」
【邊見】
「というか……今更ですけど、僕たち、此処に居て大丈夫なんですか……?」
【鞠】
「充分セキュリティが行き届いてるみたいですし、ダメならとっくに追い払われてます。大した問題ではないのでは」
【大人】
「別に良いよ。良ければ入場カーテン辺りから覗いてるといい、ある意味一番の特等席だよ」
【邊見】
「ありがとうございます~」
【笑星】
「が、頑張ってね鞠会長……! 俺たち精一杯応援してるから!」
【鞠】
「応援は各自の自由ですけど騒がないように」
あと緊張し過ぎ。伝播するからやめてその震えた声。
【???】
「――では、人文世界開発プロジェクト主催、武蔵大学祭記念コンサートの開催とする」
一方乱れぬ声が、スピーカー越しで会場に響く。司会の人だ。
「祭りを始めます」みたいな言葉で客が叫ばないの、久々に見た気がする。ああ……普通だ……羨ましい……。
【???】
「なお、此度司会を承るは、人文世界開発プロジェクト学生部所属、文科零類廃墟美学科4年の岐部在欄だ」
しかし何だろう、この司会は普通ではない気がする。
入場カーテンから覗き見ると……ん、あれ普通に私服じゃね? 流石にソレはどうなんだろう。厳かな舞台で司会を承っておいて。
でも誰も不平不満を漏らさない。大事なのは講師だから、ってことかな。大人の対応? 羨ましい。私の会見とか荒れて話が進まなかったのに。
【在欄】
「この岐部在欄の考えでは開会の言葉など極めて無価値ではあるが、例年司会が2分程度の前置きを据えることになっている。その半透明な決まりにこの岐部在欄は従ってやることにする」
早速キャラが意味不明な司会の、前座の前座なお話が始まった。
【在欄】
「かくして此度の行事に足を運んだ各々が既に把握していることではあるが、此度の武蔵大学WPP武蔵大学祭記念コンサートのテーマは「若き鬼才」。過去数回のこの行事では各分野に精通していると云えるいわば熟年のアーティスト達が主役となり、講演や実演を行ってきた。一方、此度は少女を此処に呼んだ。その狙いは、世界を眼差すことに時間的経験は必要条件でないという当然の定理に再度、各々客層に、それ以上に我らWPPが意識することにある」
…………。
説明下手だな、あの人?
【在欄】
「世界を視るとは、訓練を要するが、それを満たせば可能である作業だと芸術の嗜好家を名乗る輩の中にも考えている者が少なくない。しかし、この岐部在欄の考えにおいて、その思考は唾棄差し支えない程度の価値もない。実際、芸術の最先端に立つであろう芸術家たちは、各々の職業生涯の中途でその多くが1つの壁に当たっている。それは、己の披露する作品を通して正解と位置づけてきた解答が正解でないと疑うことだ。作業の性質が大きく異なる嗜好家がこういった壁に当たることは彼らと比較すれば少なく、寧ろ“有利”に立つとすら表現できるだろう。しかし、いや、或いはだからこそ、か。彼らは、傲慢に終わる。世界を視るとは、半端な覚悟であっても可能なことである一方、半端でない覚悟であっても容易に達成されえない、総じて不毛な旅路と云える」
【笑星】
「会長……俺、何云ってるのか全然分かんない……」
【鞠】
「私も分かりません」
分かってしまったらあの人と同類ってことかな。
じゃあ分かんなくていいやって気分になる。
【在欄】
「1つの視界を追究してきた者の記録を見、その1つの視界を己の視界で映し、正解を得たと考えることを訓練と呼ぶならば、ソレは無価値とこの岐部在欄は切り捨てる。寧ろすべき訓練、持つべき経験は、多種多様の視界。視るとは結局天性の領分、何かを視ることを、何を視ないことを人は自ら指定することはできない。故に、総ての人間の総ての視界には、最低限の価値があると云える」
【大人】
「ノリに乗ってるねー岐部くん。流石、武蔵の廃墟の妖精」
【笑星】
「廃墟の妖精? 何ソレ」
【大人】
「武蔵大で浸透している彼の称号、みたいなものかな。武蔵大四天王のご常連だから、結構学生さんたち皆知ってるよ、彼のことを」
【邊見】
「…………四天王……」
傷口が開いたっぽかった。
てか結局四天王、全員とエンカウントしてしまったわけか。私の不運どうなってるの。
【在欄】
「……この話を拡げると前座の枠に留まらない膨大な時間を費やすことになる。故にこの話は今すぐ中断すべきこと。心配は無用だ、それも各々理解していよう、かくテーマ決定をしたものの此度招いた主役は、熟練の芸術家たちの存在感をも掻き消しかねない、極めて巨大な価値を有する価値ある若き芸術家。その視界の価値を見逃すような救えない阿呆は此処には居ないだろう? これより開かれる「光鏡」のパフォーマンスに、刮目する覚悟を整えろ。これより――その準備を助ける時間を、同じく学生である特別ゲストに用意いただこう」
【大人】
「おっ、いきなり来たね。砂川さん、そろそろだよ」
【鞠】
「私そんな壮大なこと以外意味不明な意義認識してないんですけど」
【大人】
「大丈夫大丈夫、皆そうだから。ついでに云うと常連客のお偉いさん達も皆そうだから」
妖精ヤバいな。
……なんて他人のことを考える時間も終わりにしよう。結局、私のやることは変わらない。物凄く期待を背負わされてるのはあくまで主役さんなのだから。
前座のゲストは気楽にやろう。……気楽に、とか私の苦手な領分だけどね。
【在欄】
「開催セレモニーといこう。ゲストは現在紫上学園A等部2年……肩書きは多くあれど、今紹介するべきは1つ」
【大人】
「よし……GO!」
【鞠】
「じゃ……大人しくしててください」
【邊見】
「えっちゃん抑えてます~」
【笑星】
「お……おぉおおおお……行ったぁ……!!」
【在欄】
「「忘却の真空旋律姫」――鬼才バイオリニスト、砂川鞠」
ステージの真ん中に立った。姿を晒した瞬間、多層的な拍手に包まれる。
何百人居るんだろ。当然の如く、年齢層は高め。スーツ加齢臭してそう。
【ババ様】
「お……おぉおおおおおお……ババ様、めっちゃ見られてるのー……」
【鞠】
「緊張してますかババ様」
【ババ様】
「初体験じゃな」
まあ私以外の人に見られたことないっぽいし。視線の集中、謎の半物理的な圧迫感に思うところはあるんだろう。
……それを、私は溜息1発で無視する術を経験で身に着けた。
【鞠】
「見られてるのはババ様でも私でもありません。バイオリンと、音楽だけ」
紫上学園で攻撃の眼差しを受けるのとは違う。彼らは私に興味なんて無い。ただ、私が持つこのそれなりに高価な楽器が音を奏でることを待っているだけ。
だから、緊張すれど、そこまでじゃない。心情的に、大して奇抜でもない非日常。
故に私は変わらない。
【在欄】
「何か云いたいことはあるか」
……ただこの人と会話はしたくないって結構な拒絶感はある。
【鞠】
「別に。前座に演説は必要ですか?」
【在欄】
「皆無なり。砂川鞠くん、君は理解のある人間だ。故に、此度の前座に相応であると岐部在欄も評価した」
【鞠】
「えー……」
評価されちゃった。嫌だ怖い。
……さっさと終わらせよ。
【ババ様】
「ってか鞠、さっき曲決まってないとか云ってたじゃろ。どうするんじゃ」
【鞠】
「……さあ?」
【ババ様】
「さあ??」
それは。
眼を閉じてから……勝手に決まってれば、いいんじゃないかな。
【人々】
「「「――――」」」
私、砂川鞠はコミュ障である。……私はそう表現するのが好きだけどコレ使うと人によっては過剰に心配するかもなのでもうちょっと柔らかくすると、人見知りである。これならいいでしょ。
ならば、こんな舞台、私は得意とは断じて云わない。さっき述べた処世術は色々用意してるけど、必要無いならこんなことは抑もしたくない。現にここ1年は活動してなかったし。
……ただ、苦手意識はあっても、実際私はこのような繊細で雑音1つ漏らさず響いてしまう、失敗許されぬ状況で苦労をしたことは、恐らく無い。
何故ならば。
【ババ様】
「…………」
【鞠】
「……………………」
どうやら私は、「忘却」するようだから。
【笑星】
「――すげえ――」
【邊見】
「綺麗……何て云うか、淀みが無い感じ」
【在欄】
「悪くない分析。いや、感性か」
【邊見】
「ぁ……(←拒絶反応)」
【笑星】
「ッ司会の人、こっちで休憩?(←庇う)」
【在欄】
「あの空間に立つ人間は邪魔でしかない。君と君は、あの砂川鞠くんの付き添いか」
【笑星】
「うん……ねえ、さっき忘却の~って何か云ってたよね。どういうこと?」
【在欄】
「バイオリニストとしての二つ名。余計な情報が何一つ混じらない、ただただ純粋な調べ。極限まで個性という不純物を取り除いたが故に、万人の芯に伝い届くかのようだ。しかし情報が無いならばそれを受け取った者に変化があるだろうか? 刺激などあるだろうか? 故に矛盾している。あまりに自然的でない、故に注目せざるを得ない“無”の旋律。対照的であるが故に際立つその“無”は空間に拡がるが、空気に風化されることなく不変であり続ける。故に、あの砂川鞠くんの演奏は極めて異常だ」
【鞠】
「……………………」
【在欄】
「あの砂川鞠くんの自己証言曰く、全國で活躍する程に猛練習したこともなく、ステージ上で何かをやったという感触もなく、一言でまとめれば「忘却」するという。今、彼処で揺れ動いている身体こそが忘却している姿、ということになる」
【笑星】
「……忘却……」
【在欄】
「誰にも真似のできないことを為す者を、人は天才と呼ぶ。その業のうち、かの演奏は更に模倣不可能、どう入り込むかも全く掴めない異常な層。故にそのまま二つ名とするが評価として妥当。「忘却の真空旋律姫」――その眼の価値は計り知れない」
【笑星】
「……アレが……鞠会長の、本当の力……」
【鞠】
「……………………」
今、私は何をしているんだっけ。
眠っているのか。いや、重力を感じる。この感じ方はきっと起立していて……だけど、ウトウトと、身体が回っているような。
何もかもがアンバランス。夢に近い環境。
思考だって夢的。何もかもが、どうでもいいって感じで――
【鞠】
「(眼を開けようって……ことにもならない)」
良いも悪いもなく。
嬉しいも悲しいもなく。ならば。
【鞠】
「(私は――)」
平穏に眠れるのだろうか?
……………………。
【鞠】
「……否」
いつも通り。
束の間。そのオアシスのようなベッドは、熟睡には至らぬ数分の幻でしかない。
昼間の社会的時間に疲れ、夜中ゲームで現実逃避するのと同じ。気休めでしかない。私からすれば、粗雑で卑俗な独り遊び。
【人々】
「「「!!!!!!(←拍手)」」」
……そんなものをぶちまけられて、拍手喝采を返すおじさま達もまた、見慣れたものだった。
ほんと、何処に魅力を感じているのやら。
【鞠】
「ババ様、すみません。眼を閉じてて」
【ババ様】
「……その分、しっかり耳で聴いたがの」
【鞠】
「どうですか」
【ババ様】
「言葉にできん」
偶然か、或いは当然だろうか、私と同じ感想を抱いたババ様だった。
……まあいいや。やることやったし。頭を1回下げて、戻ろう。
昼間の私に熟睡している暇は無い。無駄な現実逃避は趣味じゃない。
【笑星】
「…………」
【鞠】
「……はぁ……」
私は仕事に囲まれているのだから。