7.08「限界の姉妹」
あらすじ
「悪いのは……村田家の血、私達の酒癖なんだから」砂川さん、例の犯人を追い詰めます。なかなかぶっ飛んだ話になってきてますが、この後もっとぶっ飛ぶのでご心配なくな7話9節。
砂川を読む
【鞠】
「貴方ですよね。うちの副会長を脅すような真似をしたのは」
本題。
私はコレを云いに来たのだ。
【冴華】
「…………」
【鞠】
「昨日の深夜2時半頃の監視カメラの映像に、何故か目安箱にリアクションペーパーを投函する貴方の姿が映ってました」
【和佳】
「え……?」
【鞠】
「妹は知らないようですね」
【冴華】
「…………」
【和佳】
「お姉、ちゃん……? な、何で――?」
妹が身体を震わせて、姉に問う。確かに彼女からすれば、姉の奇行は身体を震わせるに値する、重大な事件だ。
危険過ぎる行動だからである。
【鞠】
「貴方なら、分かっていた筈です。たとえ人の居ない時間帯を選び忍び込もうと、あの学園には隈無く監視カメラが設備されている。確実に、映ると」
【冴華】
「…………」
【鞠】
「その上であのワケの分からない変化球。折角消化していた罪を迎え入れるような愚行です。何を考えてるんですか」
【和佳】
「お姉ちゃん――ッ……お願い、します!!」
私は姉と会話をしたいのだけど、妹が想像以上に介入してくる。
そしてまた土下座だ。やめて本当それ。
【和佳】
「学校……学校、行かせて……お姉ちゃんを、赦してあげてください……」
【鞠】
「…………」
【和佳】
「お姉ちゃんを…助けて――」
【冴華】
「和…佳――」
姉が、地面まで低くなった妹の頭を優しく撫でる。
【冴華】
「……ごめんなさい。また、心配かけてしまって……でも、大丈夫。私は、大丈夫だから――」
【和佳】
「――和佳が、昨日学校行ってる間に、またアイツに蹴られてたんだよね」
【冴華】
「ッ……!」
【和佳】
「痣、増えてる……お姉ちゃんの、綺麗な顔が青くなってる……ッ! 足が痛くて、まともに歩けなくなってる! 指が痛くてお箸もよく落とすようになってる!!」
【冴華】
「……」
【和佳】
「大丈夫じゃ、ないよ! 大丈夫なんかじゃない……和佳、もう……もう見たくない……見たくないよぉ……!!」
【鞠】
「えぇえええええ……」
遂に泣き始めた。私そんなの見に来たんじゃないのに……。
【ババ様】
「……戦争が頻発する時代は終わっておるのに、幼くして沢山悲愴なものを見てきたんじゃな。鞠は凄いところで暮らしてるんじゃの」
【鞠】
「この家レベルはあんまり見ないと思いますけどね」
真理学園でもやっていけそうなくらい、家庭環境が“野蛮”。
とは思ったものの実際私はまだそこまでこの家を把握してはない。その必要があるわけでもないし。ただ……ずっと、気になってることはあった。
【鞠】
「何で、児童相談所に相談しないんですか?」
【冴華】
「…………」
泣きじゃくる妹を抱きしめて撫でながら、再度こちらに視線を戻した。
……若干、笑んでる表情で。
【冴華】
「……意味、無いからですよ」
できれば見たくないタイプの笑顔だった。私まで身震いを起こしそうになるぐらいだ。
【鞠】
「意味が無い……? そんなわけがないでしょう、貴方たちみたいなとんでもない労働を強いられてる子どもに対処できないなら児童相談所に何の価値があるんですか」
【冴華】
「ええ、無価値。少なくとも私達にとっては……敵とも云っていい」
【鞠】
「……敵?」
【冴華】
「母の管轄ですから」
――身震いを禁じ得なかった。
今まで登場してこなかった、母親という存在がよりにもよってこの文脈で登場した。
【冴華】
「母は、ビジネスマンです。弁護士である以前に……お金を手に入れることに無我夢中です。いえ、それは違いますね……負けず嫌い、か」
【鞠】
「どういうことですか」
【冴華】
「母はこの世で勝者でありたいと思っているようです。この世での勝者とは、どんな存在か? それは……豊かであること。お金を沢山、稼げることです。お金があればあるだけ、人を操れる。支配できる。自分を護る盾も、自分が勝負を挑んだ相手を或いは自分に勝負を挑んできた相手を突き刺す矛も手に入る。一方お金を持たず、自分を護る力も抵抗する力も用意できない被支配者は、敗者。母は、勝者となり敗者を貶めることに、無我夢中」
それは負けず嫌いとは別物じゃなかろうか。悪い意味で資本主義者というか。
えっと、つまりは……
【鞠】
「貴方と同じ、ってことですか」
【冴華】
「私なんて可愛いものです。まぁ……師匠とも云えるやもですが」
……似た者同士ではない、ということ。
あくまでこの人は、母親から人生論を叩き込まれたというだけ……ってこと?
【冴華】
「……もう、何を隠したって晒したって、変わらないですから白状しますけど……私は、学園には憂さ晴らしで通ってたんですよ。母から“経験”を積んで、収入を得ろというお達しはありましたが」
【和佳】
「…………」
【冴華】
「――こんな家、大嫌い」
剥き出しの嫌悪が、素直に曝け出された。確かに白状に値するものだと、立ち会った私は肌で感じる。
ボロボロの子ども部屋。古い家具や布団。よく見れば私服も古着のようだった。
【冴華】
「自分の一時の満足の為に無差別に誰かを不幸に貶める母が嫌い。母に従順でプライドが無くて卑怯な父が嫌い。変わり映えが赦されずに古くなって壊れて直して、また壊れたら直す、そんな家と生活が嫌い」
そして、ボロボロの身体。
ボロボロの心。
【冴華】
「嫌いじゃないのは……和佳だけ。和佳だけは、護らないと」
【和佳】
「お姉ちゃん……」
【冴華】
「でも――その為に、私は沢山傷付く。痛くて。怖くて。両親は、云います。もっと惨めになりたくないなら、“勝者”でいろ」
【鞠】
「……そして貴方は学園へ行く」
母から直伝された、勝者の摂理を引っ提げて。
【冴華】
「最初の最初は、可成り抵抗があった。それは最大の失敗要因。ソレがある限り私は勝者にはなれない。私には、できない――でも、それでも母から云われたように、まず周りの人間を沢山、観察した。すると、とあることに気付いたの」
少し俯く。
抱く妹にも、見られないようにして。
【冴華】
「何でこの人達、こんなに楽しそうなんだろ――って」
【鞠】
「…………」
【冴華】
「私は、こんなに縛られてるのに、こんなに頑張ってるのに。クラスメイトは、同級生は、学園生は、皆、私以下の能力しか持ってないのに、何でそんなに自由で、笑ってるの? なら……私だって――」
【和佳】
「え……?」
ああ、これは恐ろしい告白だった。
何と云っても、ここに妹がいる、聴いているということが。
【冴華】
「……それからは、貴方の知っている村田冴華です。和佳の居る家から出て、和佳と会わない学園の教室に入り、勝者に君臨する私が自由を謳歌する。敗者は……惨めでいればいい、それが摂理」
【和佳】
「…………」
難しい言葉。難しい表現。幼い少女に、姉の見ている構造は分からないだろう。こんな顔を、知らないだろう。
護られてばかりだった少女に、護る余裕などない妹に、この姉の姿は見たことないものに違いなかった。
――彼女は間違いなく、孤独だった。
【鞠】
「……ほら見ろ。家族なんて――」
――何の確約もされない、ただただリスキーな括りじゃないか。
【ババ様】
「……鞠」
【和佳】
「お――お姉、ちゃん――和佳…和佳は――」
【冴華】
「何も、考えなくていいんです。和佳は何も悪くないのだから。悪いのは……村田家の血、私達の酒癖なんだから……貴方は、この呪縛に捕まってはダメ。貴方は一時ではなく、永続する自由を手に入れなきゃ、ダメ。この酒に、溺れてはダメ――」
本当に、ボロボロ。今にも崩れそうな身体。
隠しきれなかった限界がさらけ出た抱擁を、ただ眺める。
……いや、眺めてないで話を進めようか。
【鞠】
「貴方が貴方の受け継いだ欲望に溺れる云々関係無しに、周りの人に助けを求めれば解決の糸口は幾らでも掴める……私はそう思っていたけど、貴方はそれが無駄であることを悟っている。それは、母親が勝者として君臨してるからってことですよね」
【冴華】
「……数々の政治家や企業・地元の権力者、暴力団などの地下組織を「支配」していますから」
ああ、何かやっと分かってきた。だからお金に夢中にもなるのか。
6月の野球部会見事件は、沢山のマスコミがその光景を記録してしまっていた。それは私も紫上学園も大変不都合だったので、根回しをして情報をめちゃ規制してもらった。その根回しに使ったのが、多額の金。そして砂川の力。
結局野球部は甲子園にも出て、強大な活躍をしたことで世間の注目を浴びたが、それでも現在情報の漏洩はそこまで表れ出てないし、発覚しても野球部が反省していて私も形式的に許したのだから来年の甲子園予選出場にあたって大きな問題にもならないだろう。ただ、私がやった情報規制という手段については、恐らく追及の声がわんさか上がる。この社会において、それはフェアではないってことだ。
しかし母親は、この支配する行為、アンフェアな態度を日常的に行っている。寧ろ、積極的に、優先してやっているんだろう。自分が貧弱な者どもを支配している勝者であり続けるために、そして金と人を使い文脈を統制できる勝者であることを実感する為に。救いようのない陶酔。
どうでもいいけど、何であの父親さんを結婚相手に選んだんだろう。もっと有能そうな人を縛ればよかったのに。
【冴華】
「相談を受けたなら、当然児童相談所はそれに応じ行動を起こすでしょう。しかし、その行動は支配される。だから何も起こらない。寧ろ抵抗を見せた敗者に躊躇無い罰を与えるでしょう」
【和佳】
「…………」
【冴華】
「私が何に弱いかを、当然あの人は知っている」
【ババ様】
「のう鞠、今からソイツぷち転がしにいかんか」
あ、ヤバい左眼が何か熱い。何かが炎上してるらしかった。
まあ多分、先輩もこの話を聴いたら機嫌悪くなると思う。あの人は亜弥ちゃんをとても大事にしているから。
【冴華】
「だいぶ時間を使いましたが……ここで戻せます。私が深夜に学園に侵入したのは、母の指示です」
【鞠】
「……まあ、ここまで聴いたので予想はつきましたけど」
自宅謹慎で更に収入ゼロになり、「不良品」の烙印まで押された所有物。
親のお遣いを拒むようなら、矢張り容赦の無い鉄槌がくだる。彼女を絶望させる最高率の手段を、父親に指示するんだろう。
しかし……そっから先はまだ分からない。
【鞠】
「何故、母親さんは副会長へ向けた迷惑メールを指示したか」
【冴華】
「分かりません。ただ……母は、勝つ為なら絶対に手段を選ばない。どんな手を使ってでも敵を揺さぶり操り、勝利と結果的利益を手に入れる。イタズラじゃない。何を標的としているかは分かりませんが……調べられてるはずです、玖珂さんも、学園も」
【鞠】
「なら――私もですか」
そんだけやって検挙されないのだから、大したものだ。私は評価する。
だからもう私のことも常人の限界以上に調べている筈だ。一応私は紫上学園のトップだから。
ただ……残念なのは、この家に帰ってきてない、ということだろう。父親は評価に値しない。だって盗聴器に気付けてないもん。
【鞠】
「それもこれも、元を辿れば妹さんの力量を考慮していなかったから、か」
【和佳】
「え――?」
【鞠】
「貴方が私に助けを求めたり脅迫してなければ、私は恐らくこの家の事情に深入りすることはなかったと思いますから」
特に、妹に仕事を与え私と一対一の時間を作ったこと。母親に落ち度は無い。気まぐれに金稼いで来いなんて巫山戯たことを云った父親の凡ミスだ。話を聴けば母親もきっとあの父親を見下すことだろう。
【鞠】
「貴方の母親ですから、どうせ私に食らい付いてくるでしょう」
【冴華】
「……どういう、ことですか?」
【鞠】
「云っておきますが、私は貴方の味方ではない。姉は云うまでも無く、妹も金揺すってきたわけですし、寧ろ敵。脅威。だから貴方たちを考慮するつもりはない。路頭に迷う覚悟をしなさい」
【冴華】
「……それって……まさか――母と、闘うつもりですか! 無茶です、私のような学生を相手にするのではないんですよ!!」
当然、分かっている。私じゃ勝ち目無いだろう。
だが――私は一部でしかない。上を見上げるといい。空を覆い、地を陰らす、一つの国家が見えるだろう。ほんと、こんなこと好きでやるんじゃないんだけどさ。
【鞠】
「邪魔な山は踏み潰します――「覇者」の足で、跡形も無く」