5.41「間違ってない」
あらすじ
「貴方は曇り無く、正しい」砂川さん、5話最後の災難に附き合います。河川敷で寝転がって夜空を見上げるって普通にロマンありますよねって感じのベタベタな41節。
砂川を読む
Time
19:45
Stage
蛙盤区
【鞠】
「…………」
【信長】
「…………」
【鞠】
「…………」
【信長】
「…………」
今日は私史上、5本の指に入るかもしれない災難な一日だったかもしれない。
いやこういう表現を使うにはそれなりに人生経験豊富じゃないと格好良くないんだけど、兎に角穏やかな新生活を望んでいた私からするととてもたまったもんじゃない代表的な一日だったとは思う。
そしてこのトドメの時間。
【アバンガエル】
「げーーーーーこげ-----こ」
【アバンガエル】
「びしゃああぁああああ」
【アバンガエル】
「ほあぁああああああああ」
……何でこんなことになったんだっけ。
* * * * * *
【鞠】
「……すっかり夜になっちゃった」
結局救護室でも医者さんに怒られるし。今度こそ、今度こそ怪我した時は真っ先に治療を受けに行こうと思う。
一応眼も診てもらったけど、どうやら破裂は起こしてないようだった。よかった。でも念のため後日例の病院にて検査してもらえって云われた。つまりあと一回怒られることが確定している。もうすっかり私は病院が苦手になってしまった。
まあそれは仕方無いとして……そんな災難な一日も、やっと終わった。私も疲れてる……というか満身創痍な状態であるけど、その時の気分で何か歩いて帰りたいとか思った。といっても電車使ったんだけどね。しかしそれは見事裏目だった。
色々あったんだけど、まあ一言でまとめるなら疲労困憊な私、寝惚けて降車タイミング間違える。結果普通なら通らなくていい蛙盤を私は歩いていた。今はただヤケになって河川敷道をゆっくりゆっくり無心で歩く。
実に無意味な時間。付け加えて、癪に障る空間。
【アバンガエル】
「げーーーーーこげ-----こ」
【アバンガエル】
「にゅにゅにゅ」
【アバンガエル】
「おぉぉまええぇええかあああぁあああああああ」
夏の夜の河川はエンドレスライブをやってると聞いたことあるが、確かに凄まじい。この辺の住宅の家賃が安めなのも納得ってレベル。
【鞠】
「…………」
ずっと聴いてると、体調悪くなってきそうだ。
【アバンガエル】
「びえええええええええええええ」
【アバンガエル】
「あえrがげらごえあがhが」
【???】
「おおおぉおおおおおおおおおおおおお――!!!」
【アバンガエル】
「だだっだっだだ」
【アバンガエル】
「ぎーぎーぎーぎーぎぎーぎーぎぎー」
【???】
「おおおぉおおおおおおおおおおおおお……!!!」
【鞠】
「…………」
蛙の合唱ならまだいいんだが、皆思い思いに叫んでる感じなので、ただカオスな空間。不協和音が私の頭をぐらぐらさせる。まあ熱中症が入り始めてるだけかもしれないけど。そっちの方がヤバいか。
【アバンガエル】
「シメンソカ」
【アバンガエル】
「キキカイカイ」
【???】
「ううぅぅぅぅおおぉおおおおおおおおおおおおお……ッ!?!?」
【鞠】
「……………………」
……あと、幻聴かな。
ユニークな音色を奏でるカエルも多いというけれど、断末魔に近い声まで聞こえるような。
それだけなら百歩譲ってまだいいんだけど、河川の方にちょっと眼を遣ると、何とな~く人の姿があるような。幻覚かな。
【信長】
「おぉおおおおおおおッッ……オォオオオオオオオオオオオオオ――!!!」
【鞠】
「……………………」
やっぱ早急に眼科に行った方がいいのかな。ついでに耳鼻科も覗いてみようか。
そして何よりもう休もう。何歩いてるんだ私は、さっさと交通機関とかメイドとか使ってベッドに潜ろうそうしよう。
私は何も見てない。
【鞠】
「……ッ――」
と……幻覚に気を取られていてよそ見してたのが悪かった。割とデカめな石に躓いてしまって……。
おっとっと、ってする為の足場が残念ながら急斜面だったので、私完全に体勢を崩す。転ぶ。
【鞠】
「ちょ――!? ちょちょちょ!?」
転がる。
【鞠】
「グフッ」
結局、草茂る下段まで転がり尽くしてしまった。ああ、安静は何処に……。
【鞠】
「いったた……っ――?」
雑草やら泥やらですっかり汚れてしまった身体を起こすと、頭に違和感のある重み。
【アバンガエル】
「ほあぁああああああああ」
【鞠】
「…………最悪」
今日という地獄はまだ終わっていなかったというのを、頭部の両生類と……
【鞠】
「…………」
【信長】
「…………か……会長……?」
結局幻覚じゃなかった人間が教えてくれたのだった。
【鞠】
「最悪」
* * * * * *
【信長】
「…………」
【鞠】
「…………」
ってことがあったのは覚えてたけど、そっから先何がどうなって今、雑草だらけの斜面に身体預けて2人ですっかり暗くなった夜空を見上げてるのかまでは記憶してない。思い出す価値もきっと無いだろう。
この一日は、私のことが嫌いなんだ。なら抗うことも無意味。諦めた方が気が楽というもの。
五月蠅くて、暑くて、草が気色悪くて、何一つ心地の良くないこの場所から急いで脱出しよう、ていう気すらもう起こらなかった。
【信長】
「……会長。その色々とすみませんでした」
隣でずっと黙っていた書記が、明らかに私に話し掛けてきた。疲れてるだろうし、寝落ちしてるのかなとも思ってたんだけど。
【鞠】
「……それは、何についての謝罪ですか」
【信長】
「色々です……元々興味の無い甲子園を観戦いただいて、しかも俺の打球をぶつけてしまい……それで、結局敗戦で」
【鞠】
「…………」
【信長】
「今日に至るまで、会長の心身を傷付けた。本当に……すみませんでした」
謝罪に価値なんて無い。
そう考える私にとってこの話題の切り出しはあまりに困るものだった。
【鞠】
「……最後、打ち上げてましたけど、あれは走らなくてよかったんですか」
【信長】
「ノーバウンドで捕球されると自動的に打者はアウト扱いになるんです」
【鞠】
「なるほど」
最後の最後で一つ謎が解けた。
これは紫上学園生として実に不謹慎な、的の外れた感想なんだろう。
【信長】
「……だけど、本当に、出れてよかった。闘えて、よかった」
しかしそんな私を気にすることはなく、彼は呟く。
【鞠】
「……ほう」
【信長】
「MVPまで貰ってしまいました。そういうのは3年が貰うべきだろうに」
……確かに貰っていた。全ての試合が終わって閉会式的な雰囲気が会場に作られて、お偉いさんたちが臨時壇上で電子掲示板に映されながら何か色々喋っていた。そういうのは決勝が終わった後でいいんじゃないのとか思ってたら、今日のMVPとかいうよく分かってないものを発表しだして、それで書記の名前がただ一人挙げられた。
隣の副会長の解説によると、その日一番活躍した最優秀の選手に贈られる審査員特別賞で、コレを貰った奴は将来プロ野球で活躍する傾向にあるとか。実質、庶民が盛り上がるのと大人がビジネスする為の茶番。
【信長】
「色んな人に声をかけてもらって……野球部の皆にも祝福されて、感謝もされて……」
……横を見る。
笑みを作った書記の顔を。
【鞠】
「…………」
【信長】
「俺は――なんて幸せ者なんだろうなって」
…………。
【鞠】
「……嘘つき」
【信長】
「ッ――え……?」
この時間も負けず劣らず茶番かな。
気力は何一つ回復してないと思うけど、私は頭を起こした。そろそろ、ほんと帰りたい。こんな所で寝落ちは洒落にならない。
【鞠】
「じゃあ、何でこんなクソ五月蠅いところで号泣してたんですか」
【信長】
「……それは……」
【鞠】
「どうせ、気を遣ったのでしょう。祝福を向けてくる皆に悪いから、ここまで連れてきてくれた皆にこれ以上の不満を気付かれたくないから。せめて最後はご満悦でいようと、まあそんなところでしょう」
この人のそういう唐突の中途半端なところは、本当に嫌い。
【鞠】
「今貴方を支配している一番の感情はただひたすらに――悔しい、でしょ」
【信長】
「ッ……それは――」
【鞠】
「違うんですか」
【信長】
「……違う……」
【鞠】
「…………」
【信長】
「違う、わけない……悔しい――悔しいに、決まってるじゃないですかッ……!」
さっきのに比べたら呟きに等しいが、それでも叫びだった。
いや、私に叫ばれても、それただの八つ当たりじゃね、って思うけど、それでもまだマシだと思った。
【信長】
「悔しいに決まってる、全身全霊をかけた勝負に……負けたんだから!! 悔しいに決まってる嬉しくなんかあるものか!!」
そうやって莫迦正直でいてくれた方が、私としてもまだ安心できるのから。
【信長】
「だけど……だけど、こんな栄誉を貰ってしまった、皆に心からおめでとうと云われてしまった、こんなにも野球部の皆に、会長たちに支えてもらった……その上で、こんな我が儘なこと、云えるわけがない……!!」
だけど、どうしても中途半端は残って。
二律背反に近い感情が、彼の右脚と左脚を奪い合うとでもいうのか。
【鞠】
「……はぁ……」
まあ実際、それは珍しいことじゃないんだと思う。無視できない複数の何かに囚われて、悩み苦しむなんて実に人間らしいことじゃないか。
だけど……。
【鞠】
「嘘つき。栄誉? 祝福? 本気でそう思ってるんですか?」
【信長】
「――え?」
【鞠】
「違うでしょ、貴方が受けたのは……恥辱です」
ソレは嘘。
それも本人が気付いてない、深刻な嘘。
【鞠】
「貴方は甲子園で負けた。敗者。純粋な敗者だった貴方を……勝者でもない連中が勝手に祭り上げただけ。純粋に勝負をした貴方を、不必要に晒し上げただけ。それを、貴方はどうして悔しがることを禁じなきゃいけないんですか」
こんなの……私だったら怒る。先輩だって怒る。
勝負というものの価値を、致命的なほど分かってない奴が多すぎる。そんな苦労も知らない部外者および仲間たちが、寄って集って今日を純粋に生きた書記をベタベタと穢し虐めた。
甲子園とは、そういう場所だった。わざわざ一日捨てて観に来た私が不機嫌になるのも当然だろう。
【鞠】
「どんなに周りがあらぬことを口走ろうと、貴方は敗者、これは変わらない。いいですか、もう一回云います、貴方は敗者です」
……だから。
【鞠】
「だから――貴方は曇り無く、正しい」
【信長】
「――!」
お願いだから、これ以上、嘘をつかないで。
最初から正しいのに、こんなしょうもないことで間違ってるとか勘違いしないで。わざわざ間違わないで。
【鞠】
「貴方のその悔しさは、絶対に間違ってない。私が保証してあげます」
それは、その場凌ぎの麻薬でしかないのだから。軈て多くの人を巻き込んで、沢山の不幸をばらまくのだから。
誰より、貴方が一番傷付くのだから。これ以上そんな不愉快なモノを、私の視界に入れないで。
【信長】
「……会……長」
【鞠】
「……貴方の嘘はタチが悪いので、これ以上またややこしい事を引き起こす前に、正直なこと、もっと周囲に伝えた方がいいんじゃないですか」
ああイライラする……それなりに云いたいこと云ったつもりだけど、矢張り私はストレス解消が苦手らしい。先輩に電話でもしようかな。
【アバンガエル】
「ほあぁああああああああ」
なんてことを思いながら、頭に乗っかっていたカエルをいい加減振り落として、立ち上がる。
【鞠】
「……ほんと、野球なんて、何が楽しいのやら」
そのまま振り返らず、コンクリの階段を昇った。